このところ哲学にはまって文学からはずいぶん遠く離れています。主題になっている村上春樹「ねむり」なども読んでいませんが、前回西研さんが出られた討論会での内容を読んで、この議論の内容については興味があって出させていただきました。単刀直入に私のモチーフをいいますと、私はもうずいぶん前から、80年代以来入ってきたポストモダン思想は、現代思想として大変重要な役割を果たしたけれど、いまはなるべく早く終わりにしたほうがいいという考えを主張してきました。ポイントは二つあります。一つは根本的な社会思想として、もはやポストモダン思想はその役割を果たせなくなった。これからの人間社会についての構想を立てる能力がなくなって、いまではもう批判思想として桎梏になってきた。批判のための批判になって、批判思想の生産性を失っているということが一つ。もう一つがとくに今日のテーマに関係がありますが、文学思想としてたいへん具合の悪いものになったという点です。ひとことでいうと、かつて私の若い頃に、「政治と文学」という問題のパラダイムがありましたが、このときのマルクス主義的な文学観というものと、同じ性質のものになってきた。文学や文化を政治的な価値に還元するという大変問題のある考えにいつの間にか近づいてきた。
しかもアカデミズムに入り込んで一定の力をえている。これは文学や表現にとって致命のことで、ポストモダン思想は表現思想としてそういう質の悪いものになっている、というのが私の考えなのです。
かつて「政治と文学」というパラダイムが日本の戦後批評で生きていたとき、マルクス主義的文学観に対抗する批評家たちがいて、つまり、小林秀雄や福田恒存や江藤淳や吉本隆明やそれから初期の柄谷行人といった人達ですが、私はそういう批評を読んで、なるほど文学はこういうものかという感度を育ててきました。彼らは多少立場の違いはあっても、文学、芸術、表現の政治理念への還元主義が、批評が対抗すべき重要な障壁であるという感度で完全に一致していました。これは、ここしばらくアメリカの人文教育を席巻してきたポリティカル・コレクトネスの流れにおいても同じ事情が生じたのです。いつの時代にも、社会的な関心は政治理念を作り出し、それは文化の表現領域に入り込んできます。ここには余儀ない理由もあるけれど、表現者に属する人間にとってはそれは死活の問題で、これに対抗しようとする。しかし気になるのは、現在、文芸批評家で、批評が何に対抗すべきかを自覚している人間が、かつてははっきり存在していたのに、いまはほとんど存在していないということです。アメリカも同じような状況にあるように思えます。
ところで、ポストモダン的文芸批評は、もともとはむしろマルクス主義的文学理論への対抗として出てきたもので、それはその第一人者であるロラン・バルトの批評を読むと一目瞭然です。ジャック・デリダの極めてユニークなグラマトロジーも、そもそも「表現」を、現実それ自体の「正しい認識」と同一視し、「文学」を政治的正しさの啓蒙手段であるべきと考える文学観への対抗理論として出てきた。ところが、それは、70年代にアメリカに渡って、アメリカの伝統文化対抗主義となり、文化的多様性、構築主義、ポリティカル・コレクトネスの主張へと変貌します。そしてそれはアメリカのアカデミズムで力をえると、たちまち留学生たちが先端思想として持ち帰るということが起こった。このことで、先端思想どころか、日本で「政治と文学」という形で行なわれていたまったく同じ古い議論が、新しいタームで再演されるということが生じたのです。
しかし、そのことは少しおいて、まずポストモダン思想の現代的な意味について話してみたいと思います。
ポストモダン思想が、七○年代の終わりから八○年代にかけて入り込んできたとき、私もまた強くそれにのめり込みました。ひとことでいうと、多くの人が、それは当時退潮期にあったマルクス主義思想をつぐ、新しい正統の世界思想ではないかと感じたのです。しかし十年ほどたつと、その全体の輪郭が見えてきました。かつて、ヴォルテールがこんなことを言っていたのを思い出します。もし宗派が一つしかなければ恐ろしい専制になる。宗派が二つになると、今度は、お互いにナイフを持って喉を切り裂き合う。しかし、イギリスでは三十ほど宗派があるので、みんなそれなりに仲良くやっている、と。
ポストモダン思想が現代思想として果たした最大の役割は、この思想や文化の多様性という観念を強く掲げたことです。二十世紀前半の社会思想にとって最大の仮想敵は、近代ナショナリズム国家と帝国主義的資本主義です。マルクス主義はこれに対する最大の対抗思想でした。しかしこれは自由思想との間で大きな対立軸を作り出し、互いにナイフをもって相手を倒しあおうとした。この対立は、文化的、表現的にはたいへん具合の悪いものです。かつてアテネとスパルタが雌雄を決する戦いに望んだとき、ギリシャの多くのポリスが、あちらにつくかこちらにつくかという過酷な選択を迫られた結果没落の悲惨をみた、とツキジデスが書いてている。宗派、思想の党派が二つしかないときには、一切のものが、あれかこれかという観念の対立軸に巻き込まれる。表現にとってはそのことは致命のことです。観念、価値、美意識の多様性が互いに許容されていることが、表現や文化にとって最も重要なことだからです。日本の優れた文芸批評家たちが、自分の感度だけで対抗してきた大きな政治理念に対して、ポストモダン思想は、世界思想としても、表現理論としても、優に対抗するような強度と大きさで登場してきた。正しい世界観はただ一つであるというマルクス主義の思想と表現理論は、きわめてやっかいな重圧になっていたので、われわれはみなこの新しい思想に大きな期待をもったのです。そしてはじめの展望はきわめて有望だった。ポストモダン思想は、まず文化や表現に対する、一元論的世界観からくる圧迫、つまり「大きな物語」からくる圧迫をはねのけ、さらにそこから、より多様な人々のより多様な自由を確保するような新しい世界思想を構想できるのではないか、と見えていた。ところが、実際はそのようには進みませんでした。
ポストモダン思想の成り行きをみると、ニーチェが十九世紀の終わりに主張したヨーロッパのニヒリズムという概念を思い起こさずにはいられません。この文脈は大変明快です。ヨーロッパでは、それまで人間の内的な倫理の基準を、キリスト教が一手独占で配給していた。十九世紀の間にヨーロッパに近代国家があまねく展開すると、この状況は終わります。はじめて実存の不安を表現するキルケゴールの哲学が現われ、教会は、人間の内的モラルと生の意味の独占的供給者であることをやめます。経済的な富の配分はともあれ、モラルと生の意味の基準は、各人ひとりひとりが自分で勝手に作り上げねばならないことになった。自由精神をもった進歩的な人々は、神は死んだといって喜んでいる。しかしそれが生み出す事態の深刻さをまだ人々は理解していない。「おれは早く来すぎた」と、ニーチェは「悦ばしき知識」でいうのです。ヨーロッパのニヒリズムが戸口を叩いている。しかしその意味にまだ誰も気づいていない。ニヒリズムとは何か。それは単に神が死んだということではない。人が一切の「超越的」なものなしに生きるという、歴史上はじめて現われた事態である。そしてそのことの意味を人が自覚できないことである、というのです。
人間はなぜ「超越的なもの」を必要としてきたか。ニーチェによれぱそこにはつぎのような「推論」がある。まず圧倒的な生の苦悩がある。この苦悩からほんとうの世界、「真の世界」があるはずだという希望が起こり、それが絶対化され、「聖なるもの」「神格」への強い信仰として結実する。しかし、この信仰は強い「真理への意志」をもっている。近代は人間のこの「真理への意志」を推し進め、やがてこの世界の外側にどんな「超越的なもの」も存在しないことが暴露される。このときにニヒリズムが必然的になる。これはドストエフスキーにおける固有のテーマにもなっています。「一切は許されている」あるいは「すべては約束事の束である」。この徹底的ニヒリズムを近代人は免れることができない。そのときに大きな危機がやってくる。そういうことなのです。
二十世紀の前半の世界思想は、実際には、ニーチェのいう本格的二十世紀の前半の世界思想は、実際には、ニーチェのいう本格的なニヒリズムを経験することはなかった。その理由は、近代国家と資本主義の矛盾が激発し、対抗思想としてのマルクス主義が世界思想のチャンピオンとなったからです。このためニーチェのニヒリズム思想は水没してしまった。マルクス主義思想はニヒリズムどころではない。カントの「道徳」、ヘーゲルの「世界史」、そしてマルクスの「類的人間」、これらが近代の若い知識人たちにとって、新しい内的モラル、新しい生の意味として現われたからです。ニーチェのいう本格的なニヒリズムは、マルクス主義が挫折し、その対抗思想として現われたポストモダン思想、これは「イロニー」と呼べるものですが、これもまた挫折したときに、はじめて本格的に現われたといえます。ポストモダン思想は、マルクス主義という「神」を殺した張本人です。それはマルクス主義思想という一つの思想を殺したのではなく、ヨーロッパ思想がそれまでさまざまな形で保証してきた(キリスト教、世界史、類的人間)「大きな物語」(超越項)それ自体を殺そうとした。しかし決定的なのは、その批判は、絶対的な「正しさ」の存在しないことを論理相対主義によって証明する、という方法によっていたということです。ポストモダン思想は、マルクス主義が社会についてのひとつの原理的な普遍的理論だったのに対して、これを包括するより普遍的な理論を対置するのではなく、どんな普遍的理論もありえない、という主張によってこの批判を遂行しました。つまり、あらゆる「超越的なもの」を否認したが、そのことで一切の価値の基準となるものも、押し流してしまった。これは論理相対主義の宿命です。このためそれは、いまや「ヨーロッパのニヒリズム」ではなく、思想におけるグローバルなニヒリズムとして現われているのです。
さて、ニーチェによると「ニヒリズム」の真の危機は、「超越項」を抹消してしまったことの意味の無自覚から現われる。この不徹底なニヒリズムは「あらゆる形態の反動思想」を招来する。まず古い倫理的価値に立ち返ってこれに根拠を求めようとする者、つまり新しい形態の「信仰」、そして、無神論、客観的科学主義、懐疑論、ペシミズム、イロニー、デカダンなどです。ニヒリズムは深い病、近代人が神=超越項を殺したことから必然的に生じる病です。それは、絶対的「超越項」が存在しえないことの認識と、しかしそれなしには人間が倫理と生の意味の根拠を見出せないことの感度とのディレンマとして現われる。徹底的な「相対主義」の論理によって、あらゆる権威と制度の正当性を否認すること。これが二十世紀の「真理への意志」であるポストモダン思想の帰着点です。このことでポストモダン思想は、社会思想における一切の「大きな物語」を打ち倒したが、また必然的に、深刻な価値根拠の喪失の場面へと進んだのです。ニーチェによれば、ニヒリズムは、「超越項」(真の世界)が存在するべきだったのに、それがまったく存在しないという確信から現われる。またそのような「真の世界」という価値が存在しないのであれば、「生存を維持することは絶対にできないという確信」から現われる。ニヒリズムは、「超越項」の非在に対する落胆と絶望が生み出す生の意欲の阻喪なのです。現代的ニヒリズムは、この生の理由、意欲の喪失への反動形成(リアクション)として生じる。それはどういう形をとるか。道は二つで、明確なシニシズムやデカダンとして現われるか、それとも、一見「超越項」とは見えない「超越項」をそっと立てることです。私は、そのことについて、いくつかの場所で指摘してきました。現代の倫理的なポストモダン思想においてそれは、「他者」や「贈与」などというキーワードで、新しい倫理と意味の根拠として置き戻されているのです。
もう一度、文学思想に戻ります。さっき言ったように、バルトやデリダに代表されるポストモダン的文学思想は、もともとは、マルクス主義的な、認識論的には現実反映論の否定、哲学的な文脈では、伝統的なヨーロッパの主観客観図式への否定ですね。これを新しい表現の理論として、象徴的には「テクスト論」として提示しました。われわれはそれを、マルクス主義文学論のドグマ主義を打ち破る新しい画期的理論として受け止めたわけです。ところが80年代にマルクス主義が批判思想としての正統の地位を失ってゆくにしたがって、ポストモダン思想はそのオルタナティヴな批判思想としての役割を果たさざるをえなくなる。これは当然のことです。社会主義の展望が行き詰まったとしても、資本主義の矛盾は解消されたわけではなく、人々の矛盾の意識を受け止めるなんらかの批判思想が必ず必要だからです。
しかしこの場面で、ポストモダン思想はその価値相対主義と論理相対主義という方法の根本性格によって弱点を露呈してきます。価値相対主義と論理相対主義は、批判の武器としてはきわめて強力だけれど、積極的な構想を打ち出す力を本質的にもたない。そこで、80年代を通して、ポストモダン思想は、はじめの「一切を相対化するポストモダン思想」から、いわば「倫理的なポストモダン思想」に変容してゆきます。それはアメリカにおいて、マイノリティの権利擁護とそれを根拠とする現体制批判としてのマルチカルチュラリズムや社会構築主義の思潮に結びつき、そのことで、政治的な運動論のバックボーンとなります。その要点は、既成の権威や社会の諸制度はその本来的な正当性の根拠をもたないという論理です。
理論的な「社会構築主義」では、一切のルールは人為的なものにすぎず偶然的で根拠をもたない、という表象と、あらゆる抑圧は一切のルール関係から生じているという、二つの素朴な表象が結びついて、その基礎をなしています。哲学的観点からは、二つの表象ともに素朴な誤りです。まず、それは一切のルールは普遍的暴力の縮減という人間社会の根本要請から現われているということを、見ないのです。第二に、抑圧は諸ルールから来るというのは、例の、空気がなければより早く飛べるという鳥の話を思わせる“表象の錯誤”です。バタイユによるまでもなく、人間の世界秩序は、はじめから、労働と性の欲望を時間的に区分する禁止とルールによって成立している。しかし、このルールの枠組は、恣意的なものではなく、動かしがたい必然性から来ている。さきの素朴な表象の錯誤が乗り超えがたいのは、そこにどんな人間も「対等」(平等)でかつ「自由」であるべきという、近代の人間なら否定できない人間理念が動機として存在し、それがまた黒人問題をネグレクトしてきたアメリカの歴史感覚と結びついて、強い理念的正当性を与えているからです。
人間と社会はもともとさまざまなルールのネットワークとして構成されている。その多様な言語ゲームがありうるように、さまざまな社会ゲームがありえます。つまり一切は幻想的価値の網の目です。だからわれわれが自明だと思っているどんな制度や価値も、慣習的なルールの束だといえる。これは哲学的には、ヒュームとウィトゲンシュタインの最も徹底した帰結です。しかし、この考えは、ポストモダン思想において、われわれの世界観は、すでに支配のイデオロギーによって知らぬ間に「構築」されたものである、われわれの主体もまた「構造」によって規定されている、という考えに展開されました。この考えは、マルクス主義から現われたグラムシとアルチュセール、そしてポストモダン思想の中心的担い手であるフーコーによって、最も完成された形式を与えられました。しかし、この論理は、相対主義に固有の本質的弱点をもっている。あらゆる考えはすでに構造とシステムに規定きれている。これは、誰もが条件づけられた「主観」のうちにある、という認識論的命題と等価です。しかし、この理路は、誰も「客観」の場所に立つことができない、という結論を導くことになる。全ては構造に規定されているという言説もまた、一つの立場にすぎないことが指摘され、ここで、ヴェーバーやマンハイムが格闘した、一体どの思想がイデオロギーであることから免れているのか、という問題が再演されることになるのです。もう一つの問題は、このような相対主義からは、新しい社会の正当性の根拠をどこからも取り出すことはできないということです。「正当性」の概念は、何が普遍的なものであるかについて、人々の合意と共通了解を取り出せる可能性によってのみ支えられるからです。このことの欠如が、ポストモダン思想を「倫理化」させ、そこに「超越項」を呼び込むことになった根本の原因なのです
さて、私は何をいいたいのか。ポイントは二つあります。まずポストモダン思想は、革命思想として硬化してしまったマルクス主義のドグマ主義を相対化する強力な反イデオロギー思想として登場したが、それがマルクス主義に代わる本格的社会批判の思想としての役割を担ったとき、価値相対主義と論理相対主義の限界を内在的に克服することができなかったために、「義の要求」を超越項としておく、倫理的ポストモダン思想になってしまったということ。これが一つです。もう一つは、ポストモダン思想は、もともと文学や表現を政治に還元するマルクス主義文学観への強力な対抗理論として現われたのに、それが社会思想の役割を担おうとしたとき、かつてのマルクス主義文学観と同じ、文学と表現の自立性を拒否して、その意味を社会批判の文脈へと還元するものになった、ということです。
私は「政治と文学」のパラダイムのいちばん最後の時期に生きていた人間として、この問題を長く考え続けてきました。そしていま私がもっている考えは以下です。第一の問いに対して、私は、「義の要求」を超越項としておくことによって社会思想は敗北する、と答えます。このことについての確信を、私はカントとヘーゲルの哲学的対立の中でつかみました。近代のはじめにも、いまわれわれが格闘しているまったく同じ問題、社会倫理の根拠をいかに措定できるのかという問題が存在し、多くの思想家や哲学者がこの問題を考えてきました。そして、カントのヘーゲルの思想的格闘は、その最も象徴的な例なのです。
カントが提示した倫理の根拠は「道徳」です。カントは「道徳」の根拠を哲学的に吟味しなおして、これまでの一切の「善」(主として宗教的善)をすべて相対化した上で、理性をもつ人間の合理的推論によってどんな人間でもこれは「善」であるといえることがらを「定言命法」として定式化しました。それは宗教、民族、人種、性、等々の一切の属性からくる特殊性としての善を排去して残る普遍的「善」ですが、それを支えるのが「最高善」の理念です。つまり、最も徳をもつ人が最も幸せであるような世界の実現という観念が、あらゆる「善」の最高の統制的理念として置かれます。言い換えれば、「世界全体の道徳的完成」ということがカントの「最高善」の内実です。この考えは、゛近代の″「道徳性」の本質としてたいへん大きな発見と独創があります。
しかし、ヘーゲルはこの考えを強く批判します。その理由は、カントの普遍的「善」は、一つの理想理念、「最高善」という理想理念の想定に支えられており、つまり特定の「理想理念」からくる「義の要求」だからです。そしてこの点で、近代人と近代社会の「善」の本質として致命的な弱点をもっているというのです。ヘーゲルの言い分はこうです。近代の「善」の根拠が、一切の共同体的「善」を超えた、人間理性だけにもとづく理念化された「善」におかれねばならないというカントの考えは、きわめて本質的である。しかし、カントは自分の理想理念が唯一絶対のものだと考えた。じつは人間の理性的推論から現われる「理想理念」は本質的に複数性をもつということを彼は見逃した。近代社会は、個々人の独自の幸福の自由な追求を『相互承認』する。何が「善」であるかの追求も絶対的な権威を立てることはできず、各人の「善」の追求がやはり認められねばならない。そしてその帰結は、理想理念はけっして唯一のものに収束されえない、ということである。
ヘーゲルのこの考えは、社会を純粋なルール関係として考えるともっとはっきりします。社会的な善悪は、その社会が形成する基本的なルールのシステムに依存します。そして、どんな社会が最も(最高に)理想的なシステムであるか、という問いに対しては、答えはない、というほかないのです。それはどんなゲームが最も素晴らしいゲームかという問いに答えがないのと同じです。政治理念についても、個人の倫理的ルールについても、何が「善」の理念であるかは、関係の経験知の中から少しずつ鍛えられてゆくほかないような種類の理念なのです。
こうして、近代人が、既成のどんな善悪のルールにも依拠せず(宗教にも習俗的道徳にもたよらず)、理性の普遍性だけに依拠して世界の「理想状態」を構想するということは必然的だが、それを「単数」の理念に収束することは決してできません。つまり、人間は「善」についての全知に達することはありえない。だからカント的な「道徳」の理念からは、必ず「理想理念」の対立ということが現われることになります。つまり、イデオロギー対立が必然的なものとなる。ここに近代の「善」の根拠の難問がある。この近代の「善」の最も決定的な難問についてヘーゲルは「法の哲学」でくわしく論じている。そして、この難問を克服するためのヘーゲルの答えが、私の考えでは「事そのもの」という概念です。個々人の「理想理念」を、よきこと、「ほんとう」を求める人間どうしの営みのテーブルにおくこと。それが「事そのもの」のゲームです。自分の「理想理念」について、絶対的な全知のないことを自覚し、独断的な態度をとらず、「ほんとう」を求めることを承認しあうテーブルの上で、自分の理念の普遍性を互いに検証しあおうとする態度と努力。それがヘーゲルの「良心」の概念です。カントの「道徳」は、近代的な善にとってきわめて重要な一歩だったが、それが「良心」にまで進むことができなければ、理想理念の深刻な対立という問題を決して克服できない。これがヘーゲルのカント批判です。
ポストモダン思想は、マルクス主義に代わる本質的な批判思想のオルタナティヴとしての役割を果たすべく自分を展開させました。しかしそれは価値相対主義という自己の論理的限界を超えることができず、何らかの概念を「超越項」としておき、それを「義の要求」として立てる倫理的ポストモダン思想となってしまった。先にも触れましたが、それを象徴するのが「了解不可能な他者」「無償の贈与」といったキーワードです。この理念はいまやエマニュエル・レヴィナスの思想に大きく依拠しています。レヴィナスの「他者の形而上学」というキーワードは、貧しきもの、弱きもの、抑圧されたものに対する、理由なき倫理的態度の要請、ということを意味します。そしてそのことと、現にある社会への異和と否定というポストモダン的な理念とが結びついています。しかし社会思想が、現実の矛盾を克服するための条件を確定しようとする道につかず、無償の倫理的要請へゆきつくのは、社会思想としての敗北なのです。この倫理的要請の訴えは、どれほど思想的に抽象化され粉飾されていても、本質的には「隣人を愛せよ」という命法を人間の内面へ呼びかける、宗教的な倫理要請の復活にすぎないことは明らかだからです。
さて、もう一度、文学思想としてのポストモダン思想の問題に戻りましょう。ポストモダン思想は、社会思想と同じく表現思想の批判もまた論理相対主義で押し通した。ここにも表現理論としての大きな欠陥があるのです。論理相対主義では、決して本質的な表現理論にゆきつくことはできない。私は「言語的思考へ」という著作で、「作者の死」というキーワードに代表されるデリダの表現理論を批判しました。デリダやバルトの表現理論も、これを批判する私の現象学的信憑構造の理論も、なかなかやっかいなので、ここではごく大きな輪郭しか言えないことを断わっておきます。
まずテクスト論の基本櫛造は、哲学的認識論において、論理相対主義が「主観‐客観」一致の図式を否認するのとまったく同じ構造です。ここでは言表者の「意」が「客観」で、聴き手の認識が「主観」です。古典的言語観では、「意=客観」が「聞くこと。読むこと=主観の認識」と一致すれば、言語伝達の行為は完成します。つまり相手の「意」が正しく受け取られたということになる。しかしこれを文学表現で考えると、こんなに簡単にはいかないことがすぐに分かります。
デリダはここにバルト由来の「作者の死」という概念をおきます。これは近代哲学の難問である「主観‐客観」の一致の保証はありえない、あるいは一致は決して確証できない、というのと同じです。これを言語行為の本質的な「誤配性」と呼んでも同じです。言語行為では、「客観」を代行するものとしての「言語記号」が主観と客観のあいだに入ります。しかし、まず、言語記号は、厳密には「意」の〃代行表象″ではありえない。「言語記号」は記号の差異のシステムに依拠しているので、いったん表現された記号は、もはや決してもとの「意」に還元されえない。「作者」は死に、決してその意を確かめられない、ということが言語表現の本質だというのです。これはその通りです。「言語」は、本質的には、「ほんとうは何を言いたかったか」を決して「作者」に確認できない構造としてある。すると、言語行為でリアルに存在するといえるアイテムは、「差異の戯れ」としての言語記号と、この差異の網の目から「意味」をくみ取ろうとする聴き手(読み手)の解釈だけである。この考えを追いつめると、すべての解釈は解釈者の観点に相関的(力相関)に現われるだけであるという、ニーチェ的構図になります。ただし、テクスト論はニーチェの構想にまではいきつかない。なぜならニーチェは、解釈させる根源が「力」(身体=欲望)である以上、意味と価値の生成を根拠づけるものとしての「力」の哲学へ進もうとしたからです。テクスト論は、しかし形式論理主義なので、そこまではいかない。解釈の多様性と、解釈を動機づけるものについての解釈へと進むだけです。つまりそれは、じつは「主観,客観」図式を前提とした上で、ここには決して一致の確証が成立しない、ということで終わるのです。だからテクスト論では、絶対的な解釈はありえず、普遍的な解釈ももちろんない。そういう方法で、テクスト論は、文学や表現の「現実世界」への還元を食い止めようとしたわけです。
「主観‐客観」の一致図式に対する論理相対主義の批判は、じつは古い認識問題の定型で、これを相対主義的に批判しているかぎりは、その先の「普遍性」の問題は「謎」として残ります。だからポストモダン派はしばしばいいます。なぜ言語が通じるのか誰もその根拠を言い当てられない、にもかかわらず言葉が通じているという事実にわれわれは「驚くべきである」と。馬鹿げた言い分で、はじめからそんな問題は考えないのがいちばんだといえばいいのです。
この問題をはっきりと解いたのは、ニーチェ的な力相関の構図を推し進めたフッサール現象学の構図で、これを私は「信憑構造」の構図と呼びます。つまり、言表者の「言いたいこと」(客観)と「聴き手」の受け取り(主観=認識)の間の関係は、「主観‐客観」一致構図ではなく、「内在と超越」の間の信憑関係の構図として考えよ、という発想です。「言表者」→(A)→「言語記号」→(B)→「聴き手」のあいだの(A)と(B)は、それぞれの本質をもつ信憑構造があり、この信憑構造の本質をつかむことで、なぜ「主,客」の一致はないのに、「客観認識」とみなされるものが一定の領域では成立するのかという「謎」がはっきり解明される。言語行為でいえば、言語ルールの絶対的で厳密な確定は不可能なのに、言語行為は、うまく成立したり、またあるとき誤解や無理解が生じるのか。現象学は、これをすべての認識=受け取りは、主観の確信(信憑)として成立するが、このとき、どのような条件で主観の確信が共同的確信となり、また普遍的確信となるのかの条件をおいつめます。これが言語構造の現象学的解明です。
この考えで、もう少し文学的表現について考えてみます。言語行為は、言表者と受け手の間で「言わんとすること」の信憑構造として成立する。信憑の条件を支える一般的条件は状況コンテクストです。しかし文学表現では、出発点となるもの(「客観」)は、「言いたいこと」(意)ではない。文学表現によって受け手が受け取るものは、言表者が「言わんとしたこと」ではないし、「表現しようとしたこと」でもない。表現者は、はじめ何らかの動機や意図をもって表現行為を行なうが、その結果として生み出されたものは、表現者の「意」を表わす言語記号なのではなく、もはや自立した「作品」となる。しかしそれは単なる「差異の戯れ」になるのではない。まず、「受け手」は表現者の「表現したかったこと」を受け取るのではなく、ただ「作品の力」を受け取るということです。それが自分に何かのインパクトを与えるかどうかだけが問題になる。しかし受け手からいうと、自分が作品から受け取る「力」は、決して単に自分の思い込みではなく、他の人間にも一定の「力」として迫るものであるはずだ、という信憑が生じる。これがカントのいう美的な力の「普遍性要求」ということです。もう一つは、受け手はこの「作品の力」がその意図がどうであれ表現者の人間としての内的な力から現われたものだ、という信憑をもちます。またこの人間的力は、表現者の世界経験に根をもつものである、という暗黙の信憑も生じている。この二つの信憑は、作品表現においては動かしがたい必然性をもちます。この、作品の力の普遍性についての信憑と、それが人間的経験の内的な力の表現であるという信憑なしには、そもそも芸術や表現という概念が生き延びることがないのです。テクストが差異の戯れにすぎないと主張するテクスト論者でさえ、必ずこの二つの信憑をもっている。極端な懐疑論者も、じつは世界の存在についての原信憑をもっているのと同じことです。もしこの信憑がなければ、あらゆる芸術表現は、「私のお好みの手業」にすぎず、「ブタの尻尾で書かれた絵画」でしかないのです。
ポストモダン思想の相対主義的表現理論の限界を克服できるのは、認識論としては、いまのところ現象学的な信憑構造の理論だけですが、社会思想としていえば、ヘーゲルの「事そのもの」とハンナ・アレントの「公共性のテーブル」の考えが、この普遍性の問題の本質をきわめて優れた仕方で解明している、というのが私の考えです。これもごく象徴的にいいますが、ヘーゲルもアレントも、芸術を、よい作品を作り出そうとする人間たちの公共的テーブルとしてイメージしている。これは自分の作品であり、この作物は普遍的な力をもっているはずだ。これがテーブルの上に作品をおこうとする表現者のはじめの確信です。これに対して、テーブルの回りにいる人間たちは、それぞれが主観的に、「これはよいが、あれはだめだ」と判定する。そしてなぜこれがよくて、あれがよくないのかについての言説の「活動」、正当化と批判と説得と自己弁護の言語ゲームが存在する。それが批評ということです。表現作品のテーブルが批評のテーブルと一つになっていないところでは、このテーブルがまた一般の人々に対してオープンゲームになっていないところでは、そもそも芸術という文化のジャンルが成立しない。この批評の行為は、はじめから作品の普遍的な力を、想定し、信憑しているのです。しかし重要なのは、誰もこの「作品の客観的力」を判定する基準の存在しないことをも知っているという点です。ある場合、大勢の意見が一致することもある。しかしここでは絶対的な一致はありえない、そこには批判と評価の不一致やばらつきや、ときに欺瞞もある。そのために、こんなテーブルが求める「ほんとう」にはどんな普遍性もないのだと絶望する者も現われる。しかしこの批評のテーブルが時間的な持続をもつかぎり、その時間のスパンのなかで、このテーブルに集まる人間の間に、作品の力、芸術の卓越性のもつ普遍性に対する信憑が形成されてゆく。普遍性の明確な基準はどこにも存在しないのに、ここでは優れたものとそうでないものの秩序が存在するという芸術の普遍性を誰も信じないわけにいかなくなる。なぜそういうことが起こるかについては、もう詳しくはいえません。ひとこといえば、これはじつはウィトゲンシュタインが描こうとして格闘した、言語ゲームの本質構造と違わないのです。あるゲームが行なわれている。誰もこのゲームのルールを厳密に記述し、規定したりできない。言語ゲームでは、ルールはそのつど言表とともに暗黙のうちに提示されたり、さまざまな空間でのルールの差異と変化がたえず生じている。それでもゲームが成立しているかぎり、つまり言いたいことが「通じる」という経験の中で、人々にとって、そこにあるルールが存在し、自分がそのゲームのルールを知っているという信憑は動かせないものとなるということです。いっさいのことは、主観的信憑と間主観的信憑の関係構造として成立します。信憑であるということは、「客観」や「真理」はどこにもないということです。しかしこの信憑の成立には条件と構造があり、その構造の普遍性は必ずとらえることができるのです。
これで終わりますが、社会的な批判思想としても、表現の本質理論としても、われわれはもはやはっきりとポストモダン思想の先に出なくてはいけない理由をもっています。表現理論としての倫理的ポストモダン思想は、社会批判の根拠として何らかの倫理要請的「超越項」を持ち込まざるをえず、そのことで、いまや文学や芸術表現にとって、かつてのマルクス主義理論と同じような抑圧的な役割を果たしています。これはちょうどカントが「純粋理性批判」で排除した神の存在を、「実践理性批判」で「神の要諦」としてもういちど持ち込んだのと似ています。しかし、社会思想としては、ポストモダン思想は、カントのように積極的な理想理念を立てることはない。その「超越項」は、「現にある社会に対してどこまでも否定性と異和を持ち続けよ」という、否定的命法となります。この命題に何らかの可能性があると考えているかぎり、新しい世代が本質的な社会批判の地平に進み出ることは決してできないのです。
批評のテーブルと事そのもの (2011/12/19 日本文学協会シンポジウムより)
竹田青嗣