吉本隆明(追悼)「正しさから見放される体験」

 (『群像』2012年 5月号より) 
 

わたしが批評や思想の世界に入ることになったきっかけは、二十歳代にぶつかった在日問題だった。「民族として生きるか、日本社会に同化するか」。これがそのシンプルな二律背反の問いだが、当時の在日青年にとって決して迂回できない絶対的な問いとして現われていた。

二十歳代のほとんどを、わたしはこの答えのない問いに答えを与えようとしてあがいていた。いくつかの小説、批評、哲学が暗闇の中の光明となったが、とくに決定的だったのが吉本隆明とフッサールである。わたしの中では、この二人の思考家の態度はみごとに重なっている。彼らの思想の手引きなしには、わたしはあの暗闇の時期を乗り越えられず、思想の仕事を続けることもなかったと思う。それについて書いてみたい。

吉本の思想の出発点となったのは「転向論」だが、その核をなすのは以下のような"戦後"体験だったと思う。ある人間が全霊をあげて真実と思い入れた「世界信念」が、あるいは絶対的なものとして現われていた「価値」(革命、恋愛、真理など)が、とつぜんまったくの「誤り」として露呈する。つまり「正しさ」から徹底的に見放されるということが起こる。このとき人はどう考えることができるか。またこの"世界喪失"の体験のもつ意味は何なのか。

吉本は、転向論で、戦中戦後の知識人がとった思想的態度を三つの類型で示した。第一。自分の世界信念があくまで正しく、現実社会のほうが間違っていると考える(非転向マルクス主義者)。第二。自分の世界信念を現実に適応させる(佐野・鍋山)。第三。より権威のある新しい世界信念に飛び移る(戦後民主主義者)。

吉本によれば、日本の戦後思想はこのいずれかを出発点として進んだが、どれも、あの絶対的価値喪失の体験の本質的な意味を受け取らなかった。その代わりに、「正しさ」の新しい権威をどこかに探し出して、その喪失を埋めようとした。

しかし、吉本にとっては、この体験が教えたのは、およそ「世界信念」と「正しさ」というものの根拠それ自体を、思想的にことこん考え直す必要だった。じっさい彼は、西欧の知的権威を棄て、思想が国家や権力を批判しうるその根本の根拠を、まったく独力で、一から再構築しようとした。対幻想対共同幻想という構図がその根本のプランだった。そういう戦後思想家がほかに皆無だったことも特筆すべきである。とはいえ、彼がこの思想方法の核をいかにつかんだかをいいあてるのは、簡単ではない。

数ある吉本論の中で、わたしが納得できる数少ないものの一つに、『戦後的思考』における加藤典洋のものがある。彼は吉本の方法の特質をつぎのようなユニークな言い方で表現している。戦後多くの知識人が、自分たちがつかんでいた「正しさ」の失墜に直面し、大急ぎでこれを訂正したり、新しい「正しさ」を探したりする中、吉本は一人独自の道を歩いた。すなわち、むしろ彼は、思想は必ず「誤りうる」(可誤性)という場所から出発し、この「誤り」の場所から普遍的なものへ届きうる可能性の条件を見出す、という方法をとった、と。

この言い方は、わたしにあることを"思い当たらせる"。というのは、わたしの哲学的立場からみて、ここには、西洋近代哲学が普遍的認識の問題について長く格闘してきたプロセスのエッセンスが、端的にいいあてられているからだ。

近世の終わりに、ヨーロッパ人もまた、旧教と新教の深刻な対立から、絶対的なものと信じていた「世界信念」が完全に崩壊するという深刻な体験に直面した。ここでは、どちらに(どこに)「正しさ」があるかという問いは完全に無効になった。この問題に本質的な答えを与えたのは、近代哲学者たちによる新しい認識論の方法だった。彼らは、どこに「正しさ」があるのかという問いをはっきり棄却し、およそ普遍的な「正しさ」に達しうる認識の条件はあるのか、という新しい問いをおいた。この近代認識論の格闘は、カントからはじまり、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールにまで継がれた。最終アンカーであるフッサールが示した答えを、ひとことでいえば以下になる。

超越的認識(正しい認識=真理)はそもそも存在しない。どんな認識も「主観的確信」にすぎず、したがって本質的に「可誤的」であるほかないからだ。しかし、にもかかわらず、「主観的認識」の多様から共通認識を取り出そうとする相互的な意志が存在するときには、「普遍的認識」(間主観的認識)が成立する条件が現われる……。

吉本の「大衆の原像」の概念は、知識人と大衆という古い構図の遺物にすぎない、などという意見がある。しかし、わたしはこれを、一般の人間が生活の中で育てる"主観的な正しさ(=誤り)"の多様から出発するのでなければ、そもそも「思想の普遍性」などということが無意味である、という意味に解している。

マルクス主義に代わる新しい世界思想として現われたポストモダン思想は、これとは逆の見解をとった。われわれの感性や認識は、すでに時代や社会の支配構造のうちで"構築"(構造化)されている。だからそれを信じてはならず、つねに生活世界の外部に立つべし。この定言命法によって、それは、絶対的な批判の場所というつねに「誤らない」立場に立とうとする。これは、日本の戦後知識人が新しい「正しさ」を遇した態度と、正確に符合している。吉本が、一貫してマルクス主義とポストモダン思想の対抗者だったことには簡明な理由があった。

「正しさ」の絶対的喪失に直面したとき、日本の知識人は、どこかに「正しい」思想があるはずだという強迫観念からまだ脱却できていないのだ。吉本は、そういう場面で、この喪失体験自体を思想化する以外には、決して普遍的な思想を作り出すことができないことを示した希有の思想家だった。吉本隆明は戦後最大の思想家である、とする評価にわたしは同意するが、しかし、その本質的な継承は、まだどこにも現われていないかも知れない。