アサヒコム ブックインタビュー  2004年2月(後編)



──今週も、先週に引き続き、哲学者・文芸評論家の竹田青嗣さんが登場します。前回は、最新刊である『人間的自由の条件 ヘーゲルとポストモダン思想』について語って頂きました。袋小路に入った観のある現代思想のアポリアを克服するため、近代社会の枠組み、さらにその背後にあるものを論考の対象とした労作ですが、竹田青嗣氏といえば、論壇に登場した当初は、人間の内心を深く考察し、その流れの中で数々の文芸評論を著した、というイメージが強いのも事実。特に、デビューしたばかりの作家・村上春樹を果敢に擁護した論陣を張っていた活動が、記憶に残っています。今回の新刊はかなりの大作だけに、文芸評論の著作が続いていた頃からの竹田ファンにとっては、意外感もあるのではないでしょうか。竹田さんは、近代社会、資本主義といった大きな枠組みに対する問題意識を、いつごろから持っていたのですか?


竹田 「私の哲学の出発点は、フッサールの『現象学の理念』です。非常に難解な本なのですが、私は、在日韓国人二世で、信念の対立はなぜ起きるのか、という問題にずっと昔から引っかかってきた。それで、フッサールの理論の核心がスッと入ってきたんですね。それ以降、人間の内面、欲望といったことを哲学的に考え続けてきました。次に文芸評論についていうと、若い時から、音楽もそうだったけれど、ないと生きていけなかった(笑)。私は、文学を、人間が内面の自由を確保するための手だてと捉えています。現実社会がどれほど合理性や功利性の原則と秩序で動いていても、人間にはこの秩序とはべつの自由な精神の領域が必要ですね。文学は、そうした精神の自由を確保してくれる領域なんです。」

「ところが、他方で、文学を社会的な効用に還元するような考え方があります。代表的なのが、昔のマルクス主義文学理論でした。どれだけ戦争に反対したか、どれだけ国民に反権力の自覚を促したか、といった観点から文学作品の価値を決めるような理論です。こうした考えは、文学好きにとってはまあ許せないものですね(笑)。文学はどんな素材を扱ってもいいのですが、作品をなんであれ特定の効用的観点に還元するといま見たような文学の本質が死にます。マルクス主義文学論がやっと終わったと思っていたら、その後、同じタイプの文学理論が意外なところから出現しました。それが、現在のポストモダン思想つまりテクスト理論です。ポストモダンのテクスト理論は、はじめはマルクス主義的な文学理論への強力な反対理論として現われたのです。ところが前回言ったように、ポストモダン思想が社会に対する批判のための批判として使われ出すと、それに応じてこちらも、批判のための批判の手段として、方法化されてきました。文学のポストモダン的解釈としてよく見られるのが、近代国家という幻想を作り上げることに寄与した装置としての文学、といった類の批評です。文学でも批評でも、現実をいかに巧みに批判するかにその作品の優劣が還元されます。こうした文学批判、制度批判としてポストモダン的の文芸批評は、まさに雨後のタケノコのごとく登場したのですが、こうした状況は、文学好きの私としては異様であり、やれやれ、またあれか、というものだったわけです(笑い)」

「こうしたことをしっかり批判しようとすると、ポストモダン思想をきちんと検証する必要がある。ポストモダン思想は、私も、昔はすごいと思ってよく読んでいたので、ある程度は知っていたのですが、これを根本的に批判しようとすると、やっかいなことに、ヨーロッパの近代哲学まで遡らないといけない(笑い)。ポストモダンの考え方の出発点はなんといってもヘーゲル批判です。だから、今度は近代哲学を徹底的にやる必要が出てきた。文学を効用性に還元する考え方に対して本質的な批判をやろうとしたら、いつのまにか、近代社会全体の成り立ちまで考えざるをえなくなった、というような、まあひどい事情ですね(笑い)。」


──そうした思考を進めていく上で、参考になった本はありますか?

竹田 「すすめたい本としては、ヘーゲルの『精神現象学』がまず筆頭ですが、入り口としては難しすぎる。はじめの一冊を挙げると、ニーチェの『道徳の系譜』かな。ルソーの『社会契約論』もとても重要なテクストです。私にとっての哲学の師匠は、フッサールとヘーゲルとニーチェの3人ですが、はじめの二人は、もう不必要を越えて理不尽に難解なので(笑い)、近いうちに哲学者の西研と、超訳版=完全解読シリーズを出す予定です。」


──今後も、近代社会を大きなテーマとして考えていくのですか?



竹田 「近代社会と資本主義というテーマでいうと、“ルールゲーム論”の社会学的展開というのを、早いうちにまとめたいと思っています。しかし、自分の本筋としては『欲望論』です。人間の内面、精神の領域についての原理論ですが、少しずつすすめていますが、3、4年くらいのうちになんとか完成したいと思っています。」



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