シリーズ<現在>への問い・「創造力の行方」

「毎日新聞」2005年10月3日(月)掲載



@ポストモダン思想は終わったのか?


 ポストモダン思想とは何だったのか。それはきわめて多様な側面をもっていてその特質を簡単には 要約できない。しかし私はあえて二つの点をここで取り出してみようと思う。

 第一に、それは、前代の世界思想のチャンピォンだったマルクス主義に代わる、新しい世界思想と して、つまり現代の資本主義や国家支配への最大の批判思想ととして登場したということ。しかし大 事なのは、これをマルクス主義の絶対的な「正しさ」の観念に正面から反対する仕方で敢行した点で ある。二十世紀が、ある意味で、絶対的な「正しさ」の思想(ナショナリズム、スターリニズム、フ ァシズム)が生み出した悲劇の世紀だったことを考えれば、ポストモダン思想がニーチェ思想の核心 を受け取りつつ、「差異と多様性」の思想によってこれを徹底的に相対化したことは、その最大の功 績だったと言える。かつてヴォルテールは、「宗派が一つだけなら恐ろしい専制が生じ、二つあれば 互いに喉を切り合う。だがイギリスには宗派が三十もあるのでみんな仲よく暮らしている」と述べた が、ポストモダン思想の発想は、ちょうどこれに重なる。

 第二に、ポストモダン思想の内実だが、私はこれを、現代の「内的自由の思想」と呼びたいと思う 。これについては、少し回り道をして、たとえばいま、なぜポストモダン思想がマルクス主義のあと に現われたか、と考えてみよう。

 まじめな若者は、思春期から青年期にかけて強い「自我理想」をもつことがある。そしてそれは、 しばしば「道徳」や「正義」の観念によって強く生かされる。だが、同時に、青年期の心の進み行き には、たとえば若きルソーやニーチェがそうだったように、文学や音楽などにハマり込み、身も世も 忘れてこれに熱中するというもう一つの類型がある。ここには重要な意味があって、こういう場面で 人は、自分の内的なロマンと自由な感性の世界をはじめて発見し、それが自らの生にとってなにより 本質的なものだという直観をつかむのである。ヘーゲルが示唆したように、各人にこういった内的な ロマンや真実(ほんとう)の追求を許容するということが、近代文化の重要な本質の一つなのである。

 ところで、私がここで示したい図式はつぎのようなものだ。たとえば、心理学者のホーナイは、あ る種の神経症には、自分を自他に対して「利他的存在」として示そうとする強い固着が見える、と言 っている。これを当てはめれば、マルクス主義が体現したのは青年の「正義」と「道徳」の精神だが 、そこには「自我理想」への強い固着があった。そして、ポストモダン思想はこの絶対的な「正義」 への固着を人間の「内的な自由」を脅かす強制、専制と感じ、その規範性をどこまでも相対化しよう とする新しい批判精神として登場したと言える。20世紀における先進国の豊かさの進展が、「自我理 想」から「内的自由」へという批判精神の進み行きを支えたのだが、このことにも大事な意義があっ た。「正しさ」は「正しさ」自身のためにあるのではなく、人間の自由の本質的な発現のためにある 、という重要な知見がそこに含まれているからである。

 しかし、ポストモダン思想の限界もまたこの点にあったと言わねばならない。それは「内的な自由 」を批判の核としたため、一切の権威の根拠をどこまでも疑う価値相対主義を基本の方法とした。そ の結果、近代社会を人間の内的自由を拘束する不可視の「構造」として描き出しつつ(フーコー)、既 成制度を相対化するための批判的議論の技法を高度に洗練させたが(デリダ)、その一方で、思想が、 社会や人間存在について本質的な理論の構築を行なうこと自体を、真理主義や普遍主義であるとして 放棄してしまった。それはちょうど、「内的な自由」の精神をはじめて自覚した青年が、しばしば、 現実社会それ自体を“汚れた”ものとみなして否定し、自らが出発すべき前提条件として受け容れる ことができない場合とよく似ている。まさしくこの理由で、東西対立が終焉し、世界が、現実の矛盾 を克服するための新しい社会構想を強く必要としはじめたとき、ポストモダン思想はその創造力を決 定的に喪失したのである。

 ポストモダン思想は、古典的な絶対的「正しさ」の観念を相対化し、現代社会の「内的な自由」の 精神の核心をよく表現したという点で、きわめて大きな存在意義をもっていた。しかし、われわれは いま、それが現代の批判思想として挫折している本質的な理由をよく理解する必要がある。その多様 な側面をさまざまにつなぎ合わせて何か新しい思想を生み出せるかも知れないと考える人も多いが、 それは空しい錬金術にすぎない。このことの明確な自覚だけが、われわれにチャンスを与えるだろう 。私としては、たとえば近代哲学の出発点といった場面まで遡って、もう一度近代の批判思想を再始 発させたいと考えている。