2008 年 10月19日(日)
ヘーゲル、聞くたびに新鮮だ
10月18日、今期朝カル講座の後期が始まった。『完全解読 ヘーゲル「精神現象学」』(講談社)をさらに完全解読し、その成果を「ポケット版完全解読」に反映しようという「プロジェクト」の一貫でもある講座である。第一回目は、西研さんがはじめて受講する人たちにも分かりやすいようにと、精神現象学の基本的な発想と、前期までの意識→理性章までの流れを端的にまとめてくださった。……「ものごとを確認するための共通のステージ」としての意識によりそいながら、さまざまなレベルでの事象の意味本質をとらえかえしていく。そうしたフッサールの「現象学」に共通する視点(「観念論」という発想)が、ヘーゲル思想にもある。「精神現象学」は、意味の生成過程をたどり直し明らかにしていく(フッサールの)「発生的現象学」と同様の発想に基づくものであり、その要諦は「バラバラな知や対立する思想的立場と見えるものを、意識経験というところから理解しなおし、相互関係を明確にしてつなごうとする」ことにある……ということを、西さんならではの平明かつ丁寧な語り口で伝えてくださった。
竹田さんは、個々の人間の「自由」の相互承認に立脚する「近代社会」の成立を、「精神」→歴史の必然的展開のもとにあるとみなす、ヘーゲルの思想体系そのものには問題がある……ということを明確に指摘された。さまざまな国の歴史を冷静にとらえかえしてみると、それは必ずしもヘーゲルが必然性と名指すような道のりをたどっているわけではない。むしろ「人間は条件が整えば自由を求めるもの」と考えるべきではないか。……たしかに(『精神現象学』が一面としてもつように)世界の究極的な説明体系を構築しようとすることよりも、竹田さんのいうように(かつ実践しているように)「人間的自由の条件」が成立し、よりよく展開していく可能性を模索すること(そう目的を自覚化できること)が、人の生きる現実に届く思想を紡ぎ出すためには不可欠ではないか……と考えさえられた。
毎回、受講するたびに新鮮な感動のある竹田さん西さんのヘーゲル講座です。(担当の石井さん、もろもろお世話になりありがとうございました。後期もよろしくお願いいたします。)
純粋理性批判も「完全解読だ」!
10月8日は久しぶりのドイツ語研。いよいよカント『純粋理性批判』のクライマックス(アンチノミー)にトライする。ちなみに、竹田さんは『純粋理性批判』の詳細なレジュメをまとめておられる。言葉の並びだけではどうしても理解できないところに差し掛かると、「ヘルプ」としてそれを提示してくださる。すると、「あ、なるほどねー」ということになる。面白いのはその場でご本人も、「あ、なるほどねー」と納得していること。レジュメをつくったとき精読した集中力の水準は、それだけ尋常ではないレベルのものだっだのだろう、と思う。原典原語講読というハードルを越えることで、その領域に近づけているんじゃないかと思うと妙にうれしくもある。
『純粋理性批判』は『精神現象学』に続く「完全解読シリーズ」第2弾として、遠からずの出版が視野におかれている。(と講談社・担当編集の山崎さんも言っていました)。
その「過程稿」を、ウェブ上で少しずつ公開してくことになった。みなさんも竹田さんと「一緒」に『純粋理性批判』、完全解読しませんか。一息ついたときのお菓子が、とってもおいしいですよ。
/管理人
2008年 9月15日(土)
うっかり夏休みを……
ごぶさたしてしまいました。うっかり管理人的夏休みをとってしまったようすです。
竹田ゼミもこの間夏休みであったのだが、竹田さんは学校が休みの間は執筆のお仕事が忙しくなる。この夏は、ヘーゲルについての新しい本の仕上げに取りくんでおられたそうです。ヘーゲル思想のエッセンスを現代社会に展開していく可能性を示す一冊になるようだ。刊行はまじか。楽しみです。
町田では実存の哲学
9月6日、NHK文化センター町田教室で講座「恋愛を哲学する」が開かれた。「町田教室」は小田急線の駅からほどちかい商店街?の一角をしめるビルの中にある。まちの活気が伝わるとってもポピューラーな環境です。講座の内容は、3月の「井上陽水論」に続き、竹田さんの「実存論」的側面に照射したもの。
……「恋愛」は他にかえられない自己肯定感、「真」「善」「美」への確かな感触を得る契機となるが(逆に失恋は深い自己喪失感を生む)、基本的には「自己幻想」であることを了解し、互いの幻想のズレを認識しながら調整の努力を重ねていけることがたいせつ……という、話などには深く納得させられた。
町田は竹田さんのおうちからも近く、沿線すぐそばの駅にすむ管理人としても、「ほぼ地元」でこうした講座が開かれていることがとてもありがたい。でも、千葉県から東京湾をくるりとまわってこられたかたや、さらにもっと遠方からはるばる参加されたかたなどもいたご様子。ホームページを見てますよ、などというお話も聞けてうれしく思いました。
担当の榎本さん毎回の企画をありがとうございます。これからも「町田では実存哲学」をよろしくお願いいたします。
小学校社会科の先生
管理人は参加できなかったのだが、竹田さんは8月末に都内の図書館で,小学生に「社会科」の授業をしたそうです。「学校」の本質観取をしたり、「大貧民ゲーム」を通じてルールの本質を伝えたりなど……お話を聞くだにおもしろそう。ルールにもとづいて多様な関係を(楽しく)展開できること、よりよくそれを展開していくためにそれを改変していくことの意味をまず知ることが、たしかに基本となるように思う。
竹田ゼミには教育学を専攻しているかたもいるし、竹田さんの哲学がこの方面にも展開していけばいいなあ、と思います。
/管理人
2008年 7月27日(日)
著作リスト、更新しました。
「久しぶりだけど……」と、竹田さんからデーターをいただき、昨年5月から現時点までの著作目録を追加しました。 『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』『フロイト思想を読む』、近著『知識ゼロからの哲学入門』など五冊の単行本を含めて、なんと18件です。この間の精力的な活動がうかがえる。管理人も「知りませんでした」のものもけっこうあります。しかし、思い起こしてみると、その時期、ゼミで集中的に取り組んでいたことや、日常会話の中でよく話題にされていたことなどと附合していることに気づく。「表現のゲーム」を軸に日常が展開している、という感じなのかも。
でも、夏場になると好きなテニスでちゃんと健康的に日焼けしている竹田さんでもあります。けっこうすごいなと思います。
ちなみに、「ちくま新書」からまもなく、ヘーゲル思想のエッセンスを現代社会へと活かす可能性を考察した新著が刊行される予定です。楽しみにおまちくださいね。ライフワークである「エロス論」も遠からず形にしてくプランが具体化しているそうです。
山竹さんの顔色が……
7月19日、HPでもご案内を出していた、竹田さんと山竹伸二さんとのジョイント講座、「『心』はどこへ向かうのか」が開かれた。ちなみに、管理人は山竹さんと10年来の知己である。知り合ったきっかけは竹田さんの朝カルの(ハイデガーの)講座。それ以来、(ときには3,4人くらいの)プライベートの勉強会(→飲み会)で頻繁に顔を合わせている。「哲学の原理を心の問題に(精神医療の原理として)活かしたい」というモチーフをずっと抱き続けている人である。毎回の勉強会では丹念に課題図書を読み解き、緻密なレジュメをつくり、穏やかな落ち着いた口調で自分自身の考えを語る。そうした姿勢がそのまま朝カル講座でも展開されていることを、うれしく思う。
……人間というものは、「思いのままにはならない自分」という場所を生きる。つまり、感情や好みや癖など、「なぜかそう感じている・そうしてしまっている」自己の身体性のもとで生きることを条件づけられている。そして、挫折したり、人との関係がうまくとれずに悩んでいるときなどは、往々ネガティブな気持ちで「思いのままにならない自己の身体性」に立ち会わされる。しかしこの「自己の身体性」というものは、これまでの自分自身の関係と行為の集積から知らず知らず形作られてきたものであり、原点には幼少期の親との関係がある。その形成過程は「想像的」にたどり直していけるものだし、それを自覚化することが、いま不具合を感じている自分のあり方を刷新する契機ともなる。(フロイト思想の最良のエッセンスもここにある。)ただし、大切なのは、この「自己の(過去への)考察」が、「事実的な(不調の根本)原因探し」であってはならないし、それは原理的にも不可能なことだということ(このへん、フロイト自身の考察にはちょっと問題がある?)。「この先」に向け、生の肯定感をどう見出していくか、自分なりの「ほんとう」への感触をどう維持していくか、ということに繋げて考えられたとき、それははじめて意義をもつものになる……ということが、自分なりに竹田さんと山竹さんの共同作業から得てきたものなのだが、今回の講義はそのことを再確認しつつ聞かせていただいた(ように思う)。
特に面白かったのは、竹田さんが「自己の身体性」を、「自己ルール」という観点からとらえ、しかもそれを「よい・わるい」「美醜」「ほんとう・いつわり」という三つの契機からとらえたこと。「自己ルール」である以上、それは客観的な正当性を主張できるものではないが、それでも自分の中で「ほんとう」の感覚が死んでしまわないように、他者との関係を展開していくこと(「調整」の努力を重ねていくこと)が、よく生きられているという実感を得るうえで欠かせないのではないか。そもそも「真・善・美」というもの自体、関係をよく生きるために考案されたアイテムなのだから……という話に深く納得させられました。
講義の内容を詳細にお伝えできなくて残念だが、二人の共著『フロイト思想を読む』には今回の講座のエッセンスがつまっているので、まだの方はぜひ、読んでみてくださいね。
ちなみに、あとから聞いたところ、山竹伸二さんはこの日ウィルス性の風邪でむちゃくちゃ体調が悪かったそうである。でも、全然そんなことを感じさせず、4時間以上の「マラソン講座」を完走していた。ただ、後から気がついたことがひとつ。山竹さんはふだんとても顔ツヤがよく、いつもの講座の場合、穏やかでありながら毅然とした表情のうえに、蛍光灯のかたちがそのまま反映(反射ではなく)している。講座が終了するころには蛍光灯の残像が瞼に残される……のだが、今回はそれがなかった。きっと、そうとう苦しい中で(顔色も本来の調子とは程遠い中で)の講義だったのだろう。それでも、多くの人の心に届く言葉を(竹田さんとともに)一生懸命語ってくれた山竹さんに感謝です。お大事にね。
お菓子とビールとカント
7月22日は夏休み前最後の(竹田研究室での)ドイツ語研。カント『純粋理性批判』の講読を続けている。今回から現研(現象学研究会)の若手エース、小井沼氏も参加。「先験的論理学」という難所を通っているのだが、みんなちゃんと予習してくるし(時間かけて予習しないと歯が立たないし)、翻訳家・磯部さんの「基礎単語帳サポート」と深い文法理解、竹田さんの的確な哲学解説に助けられつつ、けっこうサクサクと進んでいる。筆者の意を汲み取りつつ読み進める作業がだんだん楽しくなってきた。(これがなんで「先験的」といえるのかなあ、と腑に落ちてこないことなども自分にはありますが。)
いやというほど脳を使うせいか、休憩のあいまにつまむお菓子がめちゃくちゃおいしい。それに加え、カントがドイツ人のためか、終了後に流し込むビールが脳髄を震撼させる。
お菓子とビール込みで、はまってしまうドイツ語研なのでした。
/管理人
2008年 6月15日(日)
現象学研究会の本、いよいよ出ます。
昨年10月の管理人日記からたびたび話題にしてきた、竹田さん+現象学研究会の新著が6月25日いよいよ発売になる。タイトルは『知識ゼロからの哲学入門』(幻冬舎 1300+税)。目玉はなんといっても、哲学史上のビッグネーム30人、それぞれの思想の核心を鮮やかに(かつ平明に)とらえ、自らの経験も折り重ねながらそれと「対話しあう」竹田さんの書き下ろしエッセー。現研メンバーが執筆した各哲学者の「人となり」「思想のポイント」と巧みに連結し、その思想の今日的価値をとらえる糸口を与えるとともに、最初から通して読むと哲学的思考そのものの本質が見えてくるような展開にもなっている。
藤野美奈子さんの挿絵マンガも充実。ポイントを的確にイメージ化しているだけでなく、笑える作品に仕上げている。
現象学研究会の共著は、前作『はじめての哲学史』(有斐閣)から約10年ぶりとなる。ロングセラーとなり哲学入門書のスタンダードともなった前作と比べ、今回はポップなステージで勝負、という感じ? ただ、形はポップであるが(ポップなだけに?)吟味しつくした内容だし、研究会としてのその後の足跡も些少なり形にできているのではないかしら、と思う。面白い本ですからぜひ読んでみてくださいね。
今回の本を企画・編集したS氏はまだ20代のヤング。働き者で土日に校正・事務連絡のメールを出すと、ほぼ間違いなく即座に応答がある。ためしに、「たまにはちゃんと休んだほうがいいですよ」と(日曜日の夜8時に)「余計なお世話メール」を入れてみると(やはり間髪いれずに)「気をつけつつ(仕事に)邁進いたします!」と返信がある(すみません)。
温和だが粘り腰が強く、30人書き下ろしの偉業を達成して脱力中の竹田先生に、間髪いれずに「次は、前書きですが……」と仕事をお願いした「武勇伝」を漏れ聞く。すごいです。その気合もあって、これだけの短期間で内容・全体構成とも完成度の高い本ができたのだと思う。執筆者のはしくれとしても、短い言葉で意を尽くして表現するトレーニングの機会をいただいたことに感謝している。ありがとうございます。坂上さん。
今度はバタイユ、普遍経済。
6月7日は現象学研究会。「バタイユ・シリーズ」第一弾として『呪われた部分』(1〜3部)を講読した。
「太陽エネルギー」という原的な力を展開させるためには、自らのもとに蓄えられた過剰なエネルギーを消尽させていくことが生命体としては求められる。経済に関しても、単に生産、富の蓄積ではなく(それらを)「蕩尽」すること、すなわち「普遍経済」がその本来的姿としてある。世界大戦という悲劇的な形で「蕩尽」が行われることを回避するためにも、こうした観点を自覚化することが必要だ……という論調である。「太陽エネルギーの展開」という仮説から、社会関係、人間関係を直接語ろうとする発想自体には無理を感じる。人間の問題を考察するのであれば、単純に「生命体」というアナロジーだけではなく、「(文化的な意味や価値を繰り込み展開するという)幻想的身体性」の観点が必要ではないか、という興味深い指摘がメンバーの行岡さんからも出された。
しかし、一般生活水準の向上による格差の是正(一般消費の拡大?)が、暴力的な形で蕩尽エネルギーが発露する危機を軽減させることになる、というバタイユの直観そのものは的確だと思う。今後の講読を通して、バタイユ思想の今日的な価値を見出していければいいな、と思う。
今回の現研のレポート、レジュメも担当してくれた20代の精鋭・S氏にお願いしています。この場でプレッシャーかけてすみませんが、楽しみにしてます。杉田くん。
2008年 4月29日(火)
『完全解読』、完全解読します
4月19日(土)、今期の朝日カルチャーが開講した。テーマは、昨年末に刊行した『完全解読 ヘーゲル「精神現象学」』に基づき、受講生とともにヘーゲル哲学をさらに精査していこう、というものである。『完全解読』、当初は「通勤電車でも読めるヘーゲル思想」というコンセプトだったが、竹田さんご自身は刊行直後から「やっぱりこれ、そんな簡単には読めないかも」とつぶやき続けておられた。「精神現象学」かじってみたら歯が折れた、という経験をもつ身としては、よくぞここまで読み解いてくださった……と、つくづく感謝の一冊なのだが、「進化する超人」はすでに次の課題へと視点が向かっている。思想は、誰もが深く納得でき、それぞれの切実な生の問題に生かせてこそはじめて意義をもつものだ、思想が「議論のための議論」「言葉遊び」に陥り元気を失わないためにも、それを徹底していくことが必要だ、というのが竹田さん、西さんの持論である(と理解している)。たしかにフラットに見れば『完全解読』、決して平易な読み物ではない。『完全解読』の作業で掴み取ったヘーゲル思想最良のエッセンスを、ほんとうに誰にでも共有できるように伝えきる一冊を、この講座をもとに完成させていくことをめざしておられるようだ。
なお、初回の講座をほとんど再現しているといっていいほどの圧巻な報告と感想を、受講生の方からお寄せいただいた。「まるテーブル」のほうに早速掲載させていただいたので、ぜひご一読くださいまし。
がんばれ,みなっち
ここしばらく報告を続けている現象学研究会の共著だが、竹田さんが(この本の「目玉」ともいえる)哲学者30人分の「まとめ」を書き上げられ、いよいよ大詰めとなった。竹田さんが書かれた内容は、実はまだ管理人も読んでいない。しかし、挿絵のためゲラを精読した漫画家・藤野美奈子(みなっち)さんによれば、期待通りのもののようだ。藤野さんは、メンバー執筆分の挿絵は完成したご様子。編集Sさんからお送りいただいた担当分の校正用ゲラにはすでに挿絵が。ふだんのホンワカ風とちょっと違ったシャープな感じの画風である。また、自分を出すのではなく、あくまで書き手の内容をフォローしようという気構えが伝わってくる。さすがプロ、いろんな引き出しをもっておられる。藤野さんは目下竹田さんの原稿と「格闘中」のご様子。みなっちさん、がんばってね。ゴールのテープを切るのはあなたです。
/管理人
2008年 4月13日(日)
現研でレヴィ=ストロース
4月5日(日)は現象学研究会。昨年より4回重ねてきたレヴィ=ストロース講読の最終回である。
課題は、レヴィ=ストロースのモチーフを端的に表現した小編『人種と歴史』と、『構造人類学』より、それぞれ「構造」「(一般)交換」という基本概念の骨子を伝える「民族学における構造の観念」「双分組織は実在するか」。
研究会の報告を、現研ホームページに俊英・K氏がまとめてくれているのでご一覧ください。
レヴィ=ストロースの主要論文は、執拗な事例の取り上げ方、丹念に筋を追っていかないと(追っていこうとしても)迷路にはまってしまう論理構成など、そうとうハードなものだ。また、「主観哲学」のともすると情緒的かつ(それこそ)主観的に見えがちな思惟とは一線を画そうと意図してのことか(と勝手に決めつけてますが)、(客観主義的とも思えるほど)クールで科学的、悪く言えばモチーフのとらえにいく語り口となっている(ように思う)。しかし、その後「構造主義」「ポストモダン思想」が陥ったような相対主義的発想は彼の中には微塵もない。人間存在の普遍性への「信」が思想の軸となっている。
さらに、「構造」を実体としてではなく、社会関係をとらえるうえでのモデルとして自覚的に取り出そうとしていることが、特に今回の講読を通してよく分かった。
竹田さんは『プラトン入門』(ちくま新書)の中で、(現象学でいう)「本質」は決して実体的な意味内容ではなく、その言葉で人々が世界を呼び分けて秩序をつくりだしている仕方であり、「本質観取」はその世界分節の構造を取り出すことだ、という趣旨のことを述べているが、こうした「本質学」への感度が、構造主義の開祖レヴィ=ストロースからは伝わってきた。
その成果、はや新刊に……
ちなみに竹田さんは、レヴィ=ストロースへの考察の成果を、3月末に刊行された『フロイト思想を読む』(NHKブックス・現研の山竹伸二氏との共著)で早速展開されている。
自己や社会のありかたを根底で支えるものを「無意識」「構造」として見出そうとすること自体に、それまでの自己や社会関係への理解では立ち行かなくなった現状が背景としてあるはずだ。新たな自己了解(社会関係の了解)への希求が、「無意識」「構造」を(沈殿し)身体化したルールの束としてとらえ、その成り立ちの経緯を解析することで「刷新」への可能性を模索させる。そうした、(いま何を求め、何をそこから取り出そうとするのかという)「視点の自覚化」が、「無意識」(ないしは「構造」)への考察を内実あるものとするためには欠かせない……わたし的にはそんな示唆を与えられた一冊です。現研の「フロイト職人」山竹伸二さんの、研鑽を積んだフロイト解釈も圧巻です。ぜひご一読のほどを。
30人の哲学、一挙書き下ろし中です。
以前からこの日記で紹介している竹田さんと現研メンバーで取り組む「哲学入門本」、着々進行中です。哲学史上のビッグネームを30人ほど取り上げ、各々の「人となり」「思想の要諦」をみんなで分担して執筆(これはほぼ完成しました)、竹田さんが30人分の「まとめ」を一挙に書き下ろしする。竹田さんは目下その執筆に集中。限られた紙面で何をどう表現するのかということに試行錯誤を重ねられている。今までにない執筆の形式なのだと思う。ご自身は、「ちゃんと書けるかなあ……」と口にされてはいるが、(集中して)「ゾーン」に入っている感じが伝わってくる。こうなったときの竹田さんはすごい。どんな形に仕上がっていくか、非常に楽しみである。
/管理人
2008年 3月9日(日)
町田で陽水
3月1日、NHK文化センター町田教室で講座「陽水の快楽」が開かれた。
NHK文化センター青山教室で竹田さんの講座を企画していた榎本さんが昨年より町田教室に移られ、「町田に哲学の灯火を」という熱意のもとに実現した講座である。
講座は、竹田さんがセレクトした陽水のナンバーをまず実際に聴いたうえで、竹田さんの解説を聞く、という形で行われた。陽水の世界には正直明るくない管理人などにとってはありがたい内容だった。
竹田さんは、哲学講義での明晰で歯切れのよい語り口とはやや違い、「これは自分だけの思いかもしれないけれども……」というややシャイな前置きを加えながら、それぞれの作品(各曲)が語り出しているもの、作風の変遷が意味しているものを鮮やかにとらえ出していった。
「自分自身がものごとを感受している場所を徹底的に掘り下げていくことから、人々の琴線に触れる言葉を紡ぎ出す」という竹田さんの批評スタイルは、「内在に定位しつつ普遍的な本質を取り出していく」という哲学の方法と基本では重なりながら、やはりそれ独自の表現の魅力をもっているように思う。NHK文化センターの講座は(青山時代から)竹田さんのそうした「文芸評論家」として資質にも照射した企画に独特のセンスを感じる。
私事だが町田は管理人の生家から比較的近くにあり、『陽水の快楽』は(20数年前、当時)町田ジョルナの4Fにあった書店で新刊を購入したことを記憶している。不思議な縁を(勝手に)感じて嬉しくもあった一日だった。
/管理人
2008年 2月24日(日)
箱根でメルロポンティー
2月16日、17と朝日カルチャーセンター新宿のメルロポンティー講読講座の合宿があった。場所は箱根のホテル「花月園」。竹田さん、西さんの朝カル講座・冬合宿では恒例の会場となっている。
温泉施設が充実してゆったりとくつろげる環境ではあるのだが、講読のレジュメ発表や深夜まで続く質問会、さらに明け方まで続く「飲み会」とスケジュールが充実しているため、温泉につかっているのももったいない……という感じになる。
それでも、翌早朝に浴びる温泉はとても爽快、楽しみの一つではある。前夜のお酒も抜けるし。そして受講生のレジュメ発表は二日目の午前中いっぱい続くのです。なかなかすごいでしょう。
今回の課題図書は『知覚の現象学』の第2巻。実存の場所に徹底して知覚という経験を見取っていこう、という姿勢そのものはよいと思うが、ポンティの場合、世界を受け止める(世界が生成される)根源的な場所として身体をとらえだそうという基本的な構えがあるようで、そこに違和感を抱いてしまう。 フッサールに対する批判も、知覚経験を記述するために「意識」を起点にするようではだめだ、その底板にある「身体」という場からはじめないと……という感じである。「何かを意識する」ことに先立ち、まず「そのようにものごとを感受している体験」があるということについては、確かにその通りだと思う。だが、フッサールの「現象学」は、そもそも「意識」が先か「身体」が先か(「現象」の基盤にあるものはなにか)ということを問題にしているのではなく、ものごとの確信成立の様相を問うプラットフォームとして意識経験に照射した、というのがその真意であると自分的には理解している。
竹田さんは、人間の身体は独自の態勢をもつもので、そこに着目したのはメルロポンティの功績といえるが、「ではそこから何を取り出していくか」という視点が明確でない、とおっしゃった。さらに……人間にとっての身体は(欲望の展開に即して)時間の中で編まれ、編みかえられていくという弁証法的な(かつ文化的な)ものである。直接的な知覚経験にも、すでにそのことは織り込まれている(かつ、時間・経験を通して変化していく)。しかし、メルロポンティの論は、「身体」をある種客観的前提のようにしてとらえてしまっているふしがある。フッサールのほうが、むしろ「発生論的現象学」を通して、弁証法的に「身体」という現象をとらえようとする発想をもっていた、……というように、問題点を明快に整理してくださった。
これに関連して西さんも、メルロポンティの身体論には「エロス性」という発想がない。(世界の)「身体化」というとらえかたにしても、「新しいエロスの獲得」という切り口からみたほうが、それを考察する観点がよりはっきりする。その点、竹田さんが(昔から提唱している)「幻想的身体性」というタームは人間の身体の本質を的確にとらえていると思う……とおっしゃった。
なんとなく「感じ」はよいのだが、いざ読み込んでみると芯が見えてこず、かなりとらえにくいメルロポンティ思想の輪郭(と問題点)が見えてきた感じのする箱根合宿でした。
/管理人
2008年 2月11日(月)
08年も竹田研究室は熱く……
今年もはや一月以上経過してしまった。
なのに。ようやく今年初めての「日記」です。
管理人がかように怠惰な人間である一方、早稲田大学竹田研究室は1月からフル回転している。
竹田さんが『完全解読 ヘーゲル完全解読』の仕上げに集中なさるため、しばらくお休みだった「ドイツ語ゼミ」「経済学ゼミ」も再び稼動し始めた。
ドイツ語ゼミには、新しく学部生のIくんが参加。ドイツでの生活経験が豊富で、流麗にドイツ語を操る。昨年より継続して『純粋理性批判』を講読しているのだが、I君が音読をすると無味乾燥なカントのドイツ語がほとんど詩的といっていいほど美しく響く。思わずうなってしまうほどだ。いかにいままで自分が我流のいい加減な読み方(発音)をしてきたかがよくわかっておもしろい。発音の勉強までできてしまうドイツ語ゼミ。なんてすばらしいんだ。
竹田さんの圧倒的な根気と集中力には相変わらず感心させられる。ざっとした文意だけではなく、文の構造が細部に渡り完全に腑に落ちるまで疑問を呈し続ける。いかに自分が大雑把でいい加減な読み方(解釈)をしているかがよくわかっておもしろい。頭がオーバーヒートしそうなほどの集中力を要する2時間だが、終わったあとのビールがうまいんだな、これが。(というようなオチをつけてしまいがちな自分がちょっと悲しくもあるけど。)
「これ(ドイツ語の原典)がいちおう底板となるわけだし、読み解いていく充実感はあるよね」と竹田さんはおっしゃる。 『純粋理性批判』は「完全解読」のプランにも入っているご様子。こうした地道な作業がきっとそこにも結実していくに違いない。
「経済学ゼミ」も熱い。講師として参加しているHさんは、国政の場で経済学を実践するプロ中のプロである。しかし、この「ゼミ」では初学者のために、経済学の基本やワルラス、ケインズなどビッグネームの学説の要点を懇切丁寧に説明してくださっている。ただし、英語で。基礎学力のない管理人には試練の場であるが、哲学の原理的思考を社会生活の現場で展開しようとする竹田教授、Hさんの真摯な思いは伝わってくる。がんばって理解しなくちゃ、と思うのだが、つい目線が宙をさまよってしまうことがある。竹田さんは「普遍交換」「普遍分業」、加えて「普遍消費」というキーワードを立て、資本主義経済が一般福祉へと結びついていくための原理を模索しておられるのだな、ということが漠然と見えつつもあるのだが、きちんとした報告ができるようになるにはもう少し時間がかかりそうです。
新刊もゾクゾクと……
昨年末発売になった『完全解読 ヘーゲル現象学』。刊行後「だれにでも簡単に読めるつもりだったけど、やっぱりそんなに簡単な内容とはいえないよね……」としばしば口にしている竹田さんであるが、すでに3刷りを重ね出足すこぶる快調、うれしい限りである。
以降も新刊の予定が目白押しである。『人間的自由の条件』(講談社)の内容を噛み砕いた『予言するヘーゲル』が「ちくま新書」から、山竹伸二さんとの共著、フロイトの解読本が「NHKブックス」から今春(?)刊行される。
現象学研究会の共著である「哲学入門本」がこれに続く。「哲学入門本」は、研究会メンバーの執筆箇所が(竹田さんのアドバイスのおかげで)ほぼ完了。これまでディレクター役に集中していた竹田さんもようやくご自身の担当分(全体の3分の1以上)にとりかかることができる。イラストは漫画家の藤野美奈子さん。『不美人論』(径書房)など西研さんとの共著でも知られる実存ギャグ漫画家である。期待してますよ「みなっち」。ふふ。
学業に加え、ご執筆のほうでも超・多忙な竹田さんである。
写真更新しました。
すでにお気づきの方もいるかもしれないが(いるといいのですが)、「自己紹介」の欄の竹田さんの写真をリニューアルしています。以前のものは、明学から早稲田に移られたばかりのころのもので、書棚もまだざびしく……という状態だったので、今年の1月15日新たに撮り直した。正面を向いたもの、机に向かっている姿と2パターン撮ってみて、後者を採用した。でも、「正面向き」のもなかなかよく、ここで公開してしまおうかと思います。冬場のトレードマークのハイネックのシャツがなかなか決まっている、とわたしは思います。
/管理人
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