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2024.12.26

2025年NHK文化センター青山教室で講座「私の哲学遍歴──マルクス、ポストモダン、そして現象学へ」が開講されます。


「超解読! はじめてのフッサール『イデーン』」(講談社現代新書)2024.12.26刊行です




※フッサールのテクストはたいへん難解である。しかし現象学の方法の本質を適切に追いつめれば、その根本構図はきわめてシンプルであり、誰にも把握することができるものだ。
私は本書で、一般の読者が現象学の方法のエッセンスを理解できるように、可能なすべての努力を払った。
本書を先入見なしに『イデーン』本文とあわせて読解する者は、現象学の根本動機と方法をはじめて完全に理解する読者となるだろう。そして、現象学がヨーロッパの哲学史にとってもつ画期的な意義をはじめて把握することになると思う。(講談社WEBサイトより)

 講談社WEBサイト新刊案内のページへ

「新・哲学入門」(講談社現代新書)




※哲学は普遍的な世界説明を創り出す試みである。だがそもそも何のために。こう考えねばならない。
人間だけが言葉によって世界を創る。フリードリッヒ・ニーチェがいったように、千の民族は千の「神」をもつ。言いかえれば千の民族が千の世界説明をもつ。なぜ人間にとって普遍的な世界説明が必要とされるのか。
これに対する最後の答えは以下である。「普遍暴力の縮減」のために。またそのことによって、すべての人間の共存とエロス的共生の条件を作り出すために、と。
※哲学は、いまもう一度、普遍的な「世界説明」の創出の営みとして、普遍洞察の方法として再生されねばならない。つまり、全く新しい哲学の像が示されねばならないが、この課題は、われわれの時代の人間と社会の可能性にとって必須のものである。これを本書のマニフェストとしたい。(本書 第一章「哲学の本質」より)



「超解読! はじめてのヘーゲル『法の哲学』」(講談社現代新書 西研氏との共著)




富の過剰な一極集中の傾向を拡大する現代資本主義の進行は、やがて自由と民主主義の体制を崩壊させるだろうという危惧の声は、いまではさまざまな場所から発せられている。しかし、じつのところ、この危機を克服すべき民主主義政治の根本理念は明確な形では、まだどこにも示されていない。その理由は明らかである。
20世紀のヨーロッパの社会思想は、マルクス主義とポストモダン思想がその正当を担ってきたが、両者はともに、近代民主主義の原理を一種欺瞞的なものとして強く批判してきた。にもかかわらずわれわれは、これに代わりうる新しい政治理念を見出せないでいるからだ。
民主主義を基礎理念とする政治思想は、ヨーロッパではなく、主としてアメリカで展開を見せたが(ロールズをはじめとするアメリカの現代政治思想)、ここでは、明らかにロックとカントが理論的基礎とされ、驚くべきことにホッブス、ルソー、ヘーゲルは完全に看過されている。彼らの考えを基礎とする民主主義理論は、現在、ほとんど見あたらない。……
こうした現代政治理論の一般状況は、われわれにとってはきわめて驚くべきことに見える。なぜなら、近代の社会哲学においてヨーロッパの民主主義理念は、ホッブス、ルソー、ヘーゲルの哲学をその根幹としているからだ。われわれは、現在、近代政治の本質理論としての民主主義の内実を本質的に吟味しなおす必要性をもつが、まさしくその理由で、『法の哲学』の根本的な快毒を提示し、その再吟味を人々に促してみたいと考える。(本書 まえがき より)


 「現象学とは何か」(河出書房新社 本質学研究会での共著)



いまわれわれが切実に必要としているのは、一切の権威や制度に対する全般的な社会批判ということを超えて、未来の人間社会についての原理的な思考、いかなる社会のシステムが現在の深刻な矛盾を克服しうるのか、人間社会がどのような方向に進むべきかについての普遍的な展望と構想である。哲学は、いままさしくそのような役割を担うべき場所に立っている。そのため、長く時代を支配していた相対主義の思潮に代わって、普遍認識をめがける哲学の考え方がもういちど立て直されねばならない。ちょうど、デカルトがキリスト教への対抗イデオロギーとしての懐疑主義をのけて、哲学的思考の基礎を立て直したように。
“新・実在論”を標榜する新しい哲学世代の登場はその一つ徴候である。それは相対主義を克服して新しい普遍性の根拠をつかもうとする動機を明確にもっている。だが、われわれの主張はこうである。新しい時代が求める哲学の再建という課題は、普遍認識の学としての明確な原理と方法をもった哲学によってしか担われない。そして、これから現象学を学ぼうとする若い哲学世代こそ、この重要な役割を自らのものとして引き受けることになるだろう。(本書 まえがき より )


「哲学とは何か」(NHKブックス)(2020.4.25)



 この新しい哲学入門は二つの主題をもっている。第一に、哲学の最も重大な謎である三つの謎
「存在の謎」「認識の謎」「言語の謎」を解明すること。これはギリシャ以来、現代にいたるまで
ヨーロッパ哲学が長く抱え込み、解明されない謎として未解決のまま残してきたものである。
哲学のこの三つの謎を、私はこの本で一般の読者にも理解できるように解き明かしてみたい。
 だが、なぜ哲学の謎の解明が必要なのか。その理由は、この謎が未解決のままに残されてきたために、
哲学はその本義である「普遍認識」の可能性を見失い、現在その生命を喪失しつつあるからだ。
哲学の謎の根本的な解明は、哲学それ自体の再生にかかわっている。
 第二に、哲学の謎の解明は、哲学を普遍認識の可能性として立て直すが、このことはわれわれが
現代社会をどう理解しなおし、またどのようにこれに対処できるかについて、
おそらく決定的に重要な手がかりを与えてくれるはずだ。
この主題を、私は、「社会の本質学」という概念で示してみたい。
(本書「序 哲学の方法と功績」より)



〈エッセイ

○「魚は網よりも大きい(追悼・加藤典洋 『群像』7月号より)2019.6

○「正しさから見放される体験」(追悼・吉本隆明)2012.4


 「欲望論」(講談社)刊行されました。





世界を分節するのは欲望だ。欲望が、価値と意味を世界の中に織り出してくる。
価値不在の現代に、価値と意味の原理論を立て直す意欲作。
現代の哲学(思想)は、幻影の問題を抱えて虚妄な議論の巨大な迷路のうちへと迷い込んでいる。
「本体」の観念を完全に(すなわち哲学的根拠において)解体することによって、
われわれははじめて、認識一般にとって何が可能なのか。何が認識不可能なのか、
普遍認識が成立する条件と構造が何であるかを解明できる。
またこの解明からのみ、どのような新しい知と学の地平が開かれるのかを明らかにすることができる。
本体論の完全な解体こそは、現代社会における哲学と思想の再生のための、不可避の始発点である。
「真」とは、「善」とは、「美」とは? 哲学究極の問いへの回答!
(講談社HPより)

毎日新聞「今週の本棚(書評)」 橋爪大三郎氏



超解読シリーズ英語版UPしました。(2017.7.2)


『超解読 はじめてのフッサール「現象学の理念」』英語版
《The Hyper-Paraphrase of “The Idea of Phenomenology”English version》


『超解読 はじめてのヘーゲル「精神現象学」』英語版
《The Hyper-Paraphrase of “The Phenomenology of Spirit ” English version》



“The Root of Phenomenological Reduction: In Search of a Perfect Applicative Paraphrase of The Idea of Phenomenology”

2017.7.12ISHRC (国際人間科学学会)ポーランド講演発表レジュメ(PPT版)です。


『本質学研究』刊行です。


本誌『本質学研究』は、本質学をめぐるさまざまな原理的議論と、諸領域の本質を探究する実践的試みとを通して、「事実学」を超えて「本質学」へという、フッサール現象学の本来の理念の再興を目ざす。したがって本誌は、これからの現象学的探究の一つの指針を示すことを企図しているが、それは同時に、現象学運動の一つの展開形として現われるであろう。
                         (「マニフェスト」より)



完全解読・『言語的思考へ』 

※磯部和子氏(現象学研究会)による『言語的思考へ』(2001径書房)のレジュメです


2016年7月30日淑徳大学講座でのレジュメです
特別公開レジュメ「現象学・存在論・欲望論V ー哲学の現在的地平


欲望論インタビュー
A実存論・第2部「欲望と身体」第3部「幻想的身体」への構想(2016/5/15)

@実存論・第1部「存在と認識の方法」をめぐって(2015/2/22)


エッセイ(2014/4/2)

「正しさから見放される体験」(追悼・吉本隆明)

「政治の道と文学の道」
(『在日という根拠』韓国版まえがきより)



「超解読! はじめてのフッサール『現象学の理念』」(講談社現代新書)



……現象学の思考は、つぎのように考える。全知”は存在しえないし、客観的認識も「真理」も原理的に存在しない。しかし「妥当な認識」「普遍的な認識」は存在しうるし、そこに達する思考の方法も存在する、と。
「主観―客観」の認識論は、真理や客観認識を、世界の背後に匿されているものを発見するという表象で考える。現象学的な「内在―超越」の認識論は、一切を「世界確信」とみなし、「普遍的認識」とは、いかにそれぞれの異なった「確信」から、共通の(間主観的な)「確信」を創出してゆくか、という仕方で思考する。このとき、「真理」や「客観認識」という概念が、本質的に刷新されていることを人は理解しないだろうか。
(本書「現象学的還元と確信成立の条件―あとがきにかえて」より)




こちらは 完全解読 フッサール『現象学の理念』(講談社メチエ)です……




フッサールの現象学は、近代の学問が人間の意味と価値を問う方法に挫折したとき、これを立て直す新しい哲学の方法として登場した。しかし、「認識の謎」を解明し、意味と価値の本質学として提出された現象学の根本方法は、……まずフッサールの直系の弟子たちによる誤読にはじまり、つぎにその「存在論的形而上学」という自己理解を受け取った批判者たちによって、ある場合は厳密な客観認識の基礎づけの方法として、またある場合には形而上学観念論として強い批判を受けたまま現在にいたっている。
われわれはこの誤解に満ちたフッサール現象学の像を立て直さなければならない。それは一切の「認識」を「世界確信」としてとらえる根本的に新しい視点変更によって現代の認識論的挫折を乗り越え、人間的な「本質学」の新しい方法的基礎となりうるものだ。フッサール現象学の根本的意義は、ここまで、まだ一度もその本義を露わにしていないのである。
(「あとがきにかえて―現象学の再興」より)




「超解読!はじめてのカント『純粋理性批判』」(講談社現代新書)




近代哲学が形而上学であり、いまや無用の長物であるといった現代の批判は、ながく哲学とつきあってきたわたしからは、ありえない誤解あるいは無理解にすぎない。カントの理説をほんとうに理解したものは、これまでの現代思想、現代科学の諸理論、その対立、イデオロギー性、混乱を、まったく新しい観点で眺めるようになるだろう。
そして、新しい人間の問題の扉が開かれるはずである。

(まえがき より)


 「竹田教授の哲学講座21講」(みやび出版)




……この本の発端は、わたしが早稲田大学に移ってきて間もない四年ほど前のこと、みやび出版の伊藤さんが研究室にやってきて、ふつうの人に分かる言葉で哲学の大事なエッセンスを、といって強くすすめてくれて始めた連載エッセイである。ちょうど院生や社会人の仲間と、哲学者を一人ずつ取り上げてミニレクチャーと質問という形で英語哲学講義をはじめていたので、その中味を反映できそうだとと思って引き受けた。応答形式になっているのはそのためである。
以後連載を延々と三年以上つづけてようやく本になることになった。連載時のものに大幅に手を加えてある。伊藤さんの熱意で思わぬ形の本になり、ありがたく思っている。
(あとがき より)



「完全解読 カント『純粋理性批判』」(講談社メチエ)




本書は「完全解読ヘーゲル『精神現象学』」に続く完全解読シリーズの二冊目にあたる。……
これまで哲学に近づかなかった一般の読者に、もっと身近な仕方で哲学の扉を開いてもらいたいということ。そして、哲学に対してやや壁を感じていた若い世代に、新しい時代を拓くための大きな武器としてこれを利用してもらいたいということ、この二つが著者の望みである。

いま、近代の社会の功罪は明瞭である、それははじめて人間に広範な自由を与えたが、同時に万人を、そして人間の生活の一切を、欲望競争の不合理な渦の中に巻き込んでいる。マルクス主義やポストモダン主義は、これに対抗しようとする大きな思想の潮流だったが、いまやその限界効用に達してしまった。
人間と社会について根本的に新しい展望と構想が拓かれるべき時代が来ているのだ。そしてその課題を引き受けるのはつねに新しい世代である。さまざまな古い叡智とともに、近代についての基本構想として現われた西洋哲学再理解が、いまなによりも重要なものとなっている。カントから始めよう、とわたしは言いたい。
(「はじめに」より)



完全解読、記念すべき第1弾
「完全解読ヘーゲル『精神現象学』」(講談社メチエ)



人だれしもが抱く「ほんとうの生き方」への憧れは、
近代において、どのようなかたちをとりうるか。
魂の通じ合いとしての恋愛。
社会変革を目指す革命。
道徳的生き方、芸術と学問による自己表現 
− 『精神現象学』は、近代社会における人間の生と社会の在り方の「可能性」を、
深く洞察した希有の書だ。
難解で鳴るヘーゲルの文章を徹底的に解読し、
これまでになく平易かつ明快な言葉で、
思想の新たな可能性を開く



「超解読!はじめてのヘーゲル『精神現象学』



すでに2007年に、われわれ(以下西・竹田のこと)は、『完全解読ヘーゲル『精神現象学』』(講談社メチエ)を出した。(2010年には『完全解読カント『純粋理性批判』』)。超難解で鳴る主要な哲学書を一般の読者が理解できるように徹底的に解読する、というのが趣旨だったが、この完全解読シリーズでさえ、なお難渋という声を多く聞いた。哲学の貴重な富を一般の人びとに知ってもらいたい、というのはわれわれの長年の思いだったので、ふたりで相談の結果、では、もういちどさらに徹底的に読み砕こうということになった。これがその「超解読シリーズ」の第一弾である。
「完全解読」と「超解読」の棲み分けは、前者は、もちろん好学の士にはそれ自体でも読み進められるが、原テクスト(独文・訳文)の解読のためのリファレンスとしても利用できると思う。後者は、ほとんど予備知識なしでも『精神現象学』の独自のストーリーを追えるように、と配慮している。
(「あとがき」より)



「人間的自由の条件」、文庫化(講談社学術文庫)されました。



近代は、
人間がはじめて「自由」な精神の国へ向かって歩み出した歴史的始発点であったが、
それはまだ長い道程の端緒についたばかりだといわねばならない。

  もしわれわれが、
「近代社会」を人間の創造的活動の多様な承認ゲームへと推し進めることができるなら、
人間精神はその無限の本質を
いっそう豊かに発現してゆくにちがいない。
(本文より)


「恋愛論」、文庫化されました(ちくま学芸文庫)




「『精神現象学』完全解読」
(未改定稿)一部特別公開


(contents)
はじめに
緒論
自己意識より「主奴論」

意識章(西研さんのHPへ)


「僕の
 哲学? ノート」加藤典洋

第一部
竹田青嗣「現象学入門」

第二部
茂木健一郎「心を生み出す脳のシステムーー「私」というミステリー






 竹田青嗣の不定期エッセイ

 管理人日記(近況)



 2008年度著作リスト






(草場書房「洪水」第2号より)
「音楽、生を貫くエロスの穂 陽水について」


(京都日本作業行動研究会大会での講演より)

「実践の原理としての現象学」


椙山女学園講演
「哲学する感動―自分を知るための哲学入門」

 ポストモダン思想は終わったのか?

 BOOKアサヒコム インタビュー
近代社会・資本主義再考  >>前編 >>後編

 対談:夏目房之介(漫画評論家)×竹田青嗣



 ヘーゲル『精神現象学』

カント『純粋理性批判』

information

言語文化教育学会での講演 『「言語ゲームと暴力原理」──「欲望論」哲学の展望』でのレジュメをUPしました。


『欲望論』書評(橋爪大三郎氏)、毎日新聞に掲載されました。


『超解読 はじめてのフッサール「現象学の理念」』英語版
《The Hyper-Paraphrase of “The Idea of Phenomenology”English version

『超解読 はじめてのヘーゲル「精神現象学」』英語版
《The Hyper-Paraphrase of “The Phenomenology of Spirit ” English version》



 『現象学再興』(『完全解読・現象学の理念』あとがき)英語版
《'The restoration of phenomenology' (Post script of complete decoding of The Idea of Phenomenology English version》


日本文学協会での発表「批評のテーブルと事そのもの」
 講座報告:「現象学的心理学の可能性」

「看護に生かす現象学の知」(講演「看護実践と現象学」より)

講座報告「炭素革命と世界市民の正義」(現研HPより)


インタビュー「音楽、生を貫くエロスの穂 陽水について」(『洪水」第二号洪水企画 草場書房)


 →社会の教科書(西研ホームページより)